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シャンガーナ語を話してみよう!パート1

モザンビークの公用語はポルトガル語ですが、地域、部族毎に異なる方言が使われており、モザンビーク全体で41以上の言語が使用されています。私たちのプロジェクトサイト地のマプト州ボンドイア、シニャングァニーネ村で使われているのがシャンガーナ語です。シャンガーナ語はマプト州とガザ州で主に使用されています。シャンガーナ語で一番覚えやすいフレーズは、やはりKhanimambo/カニマンボウ!(=ありがとう)ですね。蟹とマンボウ、どちらも日本人に親しみのある言葉だけに、一度聞いたら忘れられない言葉です。

今回は、シャンガーナ語の良く使うフレーズをご紹介します。

Rixile(リシーレ)  おはよう。
I lhikane(イ シカーニ)  こんにちわ。
Ripelile(リペリーレ)  こんばんは。
Unjane(ウンジャーニ)  お元気ですか。
A vito lamina i ~(ア ヴィト ラミナ イ 名前)  私の名前は~です。
Khanimambo ku tivana(カニマンボウ ク ティバナ)  はじめまして。
Mina niwa Japan(ミナ ニーワ ジャパン)  私は日本から来ました。
Nitirela Moamba/ Maputo(ニティレラ ムアンバ/マプト)  私はモアンバ/マプトで働いています。
Naliranza tico la mocMambique(ナリランザ ティク ラ モサンビーキ)  私はモザンビークが好きです。
Naswiranza swakudja swamocMambique(ナスィランザ シャクジャ シャモサンビーキ)  私はモザンビーク料理が好きです。
Namuunxa kahisa/ katitimela(ナムンシャ カヒーサ/ カティティメラ)  今日は暑い/寒いです。

州の位置や言語の分布は、日本の約2倍の面積を持つモザンビークを下記の地図で確認してみてください^^;)

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地図出典:モザンビーク共和国大使館. “モザンビーク基礎データ.” http://www.embamoc.jp/about/index.html

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地図出典:Ethnologue: Languages of the World. “Languages of Mozambique.” http://www.ethnologue.com/show_map.asp?name=MZ&seq=10
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モザンビーク選挙 結果発表!

2009年11月12日、選挙の開票結果の発表!

10月28日に投票が行われた大統領、国会議員、州議会議員選挙の開票結果が、CNE(選挙委員会)より正式に発表されました。

結果は、議会の総議席数250のうち191議席を獲得し、有効投票数の75.4%を獲得したフレリモ党ゲブザ現大統領の圧倒的な勝利でした。和平調停後4度目の今回の選挙では、フレリモ党の資金力、広報戦術、支持者の数が野党を圧倒した結果となりました。投票率は約44%で、この数値は、2004年の選挙時を数ポイント上回りましたが、過半数を割った非常に低い結果となりました。
 
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11月12日の新聞一面

今回のフレリモ党の圧倒的な勝利は、レナモ党の政治支持基盤である北部地域(ソファラ・ザンベジア・ナンプラ州)において、フレリモ党が支持層を拡大したことにあります。MDM党はレナモ党から分離した政党であるので、この2党の得票率を合計しても、全ての州においてフレリモ党に敵わず、大統領・国会議員選挙の両方でフレリモ党が過半数の得票を獲得しました。

モザンビークには現在17の政党がありますが、政権争いは実質フレリモ党とレナモ党の一騎打ちです。その理由として、フレリモ党とレナモ党のみが全ての選挙区で国会議員選挙のための候補者を立てることができましたが、シマンゴ大統領候補を擁するMDM党は、13の選挙区のうち、たった4地区でしか候補者を立てられませんでした。国会議員選挙に党として立候補するには、各州に割り当てられた議席数+最低3名(州によって異なる)の補欠議員の準備、その全ての候補者の登録書類の提出が求められますが、MDM、他の小政党は、期日までの書類の提出が出来なかった、あるいは、書類の不備があったため立候補が認められなかったというのが現状です。

フレリモ党の一党支配に太刀打ちできる政党は、当分出て来ないのではないかというのが多くの人の意見ですが、果たして5年後の選挙ではどうなるでしょうか。この開票結果を受けて、今回の選挙が正当に行われたという承認の手続きが行われ、その後に新内閣が組閣されることとなります。

モザンビークのファッション カプラーナ

モザンビークの女性が「必ず持っているもの」といえば、“カプラーナ”(アフリカ独特のカラフルな色使いの生地)です。色、模様のバリエーションがとても豊富で、2m X 1mの大きさの生地で一枚70~150MTN (300~600円)くらいです。ほつれないように裁断された辺を縫っても良いのですが、切りっぱなしの布のまま使うのが一般的です。2m(あるいは1.8mくらい)X 1mに切って売っていることが多いですが、卸問屋では欲しい長さで買うことができます。

カプラーナの使い方は多様です。
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巻きスカートの要領で身につけ、頭には“レンソ”といいますが、バンダナのようにかぶります。
ボタンやピンで留めることがないので、端を押し込むだけという実に簡単な着方です。

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レンソをかぶっているのは年配の方が多いです。
また、首都マプトの若者には伝統的なカプラーナスタイルより、パンツスタイルやスカートが人気です。

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赤ちゃんをおんぶするのに使うのも一般的で、寒い場合はもう一枚、別のカプラーナを毛布のように使います。その他には、ストールにしたり、風呂敷のように物を包んで運んだり、テーブルクロスや壁に飾ったり、洋服やバッグに加工したりします。肌寒いときにはストール代わり、日差しが強いときには日焼け対策になります。お葬式に出席する女性はカプラーナを身に着けるのが一般的で(地方によって異なるかもしれませんが)、通常、棺の上にカプラーナをかけるそうです。

また、結婚する際、新郎は新婦の母親にカプラーナを贈るのが慣わしです。これは、必ずしなければいけないことで、行わないと結婚できないと友人は話していました。結婚の贈り物としてカプラーナが贈られることも多いです。

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↑アデリアさん(中央)もカプラーナを身に着けています。

フェアトレードカフェ&雑貨WAKUWAKU(http://fairtradcafewakuwaku.blog72.fc2.com/)でも、カプラーナをディスプレイに使ったり、カプラーナを使った商品が売られたりしています。
是非、チェックしてみてください!

日本のモザンビークへの援助

今回は、日本政府のモザンビークへの援助の動きをニュースの抜粋でご紹介します。

【日本がモザンビークへ小麦30,000トン援助】

2009年11月3日-マプト

日本政府がモザンビークへアフリカへの食糧支援の一環として、月曜日に小麦30,000トンを援助した。
援助を受けとる際に、アントニオ・フェルナンド氏(産業貿易大臣)は「ちょうどよいタイミングでの援助であり、モザンビークの製粉工場にとっても大変ありがたいもの。これで小麦とパンの価格が上がらず市場で安定することが期待できる。」
この援助は日本政府の貧困削減事業から993万ドル拠出されている。
これに際して、瀬川進・在モザンビーク共和国日本国特命全権大使は、「今こそモザンビークの持つ可能性を伸ばすべきときであり、この国は食糧輸出国になりうる可能性を持っている」と強調した。
日本政府は1977年から現在までに1億4400万ドルの食糧援助を行ってきた。

Japan Donates Wheat to Country

3 November 2009

Maputo ― The Japanese government delivered a donation of 30,000 tonnes of wheat to Mozambique on Monday as part of Japan's food aid to African countries.
During the ceremony where he received the donation, Mozambique's Minister of Industry and Trade, Antonio Fernando, said that the donation "came at the right time, and it will significantly help
supply the country's milling factories".
He added "we hope that the price of wheat and bread will not increase and will remain stable on the market".
This donation, valued at 9.93 million US dollars, will generate funds to be used in the government's poverty relief programmes.
For his part, the Japanese Ambassador, Susumu Segawa, stressed the great potential of Mozambique, saying that "the important thing now is to develop that potential. This country has the potential to be a food exporter".
Japan has been sending food assistance to Mozambique since 1977, with the total amount now valued at about 144 million US dollars.

記事出典:http://allafrica.com/stories/200911031057.html
Copyright © 2009 Agencia de Informacao de Mocambique. All rights reserved. Distributed by AllAfrica Global Media (allAfrica.com). To contact the copyright holder directly for corrections — or for permission to republish or make other authorized use of this material, click here.

【日本が教育支援】

2009年10月27日-マプト

モザンビーク教育省と日本政府が教育支援の協定を結び、モザンビーク南部のマプト州・ガザ州に新規4校中学校建設を1000万ドルかけて行うこととなった。協定には、アリ・教育省大臣、瀬川進・在モザンビーク日本国特命全権大使、宿野部まさみ・JICAモザンビーク事務所所長で取り決められた。

Japanese aid for education

The Mozambican Education Ministry and the Japanese government signed an agreement in Maputo on 27 October, under which Japan will grant $10 million for the construction of four new secondary schools in the southern provinces of Maputo and Gaza.
Signing the agreement were Education Minister Aires Ali, Japanese Ambassador Susumo Segawa, and the representative of the Japanese International Cooperation Agency (JICA), Masami Shukonobe.

記事出典:http://www.poptel.org.uk/mozambique-news/newsletter/aim389.html#story8

モザンビーク選挙

D-day! (Decision Day)

モザンビークでは10月28日(水)に、4年に一度の大統領、国会議員、州議会議員の選挙の投票が行われました。45日間行われた選挙キャンペーンを経て、ようやく迎えた投票日です。

テレビ、ラジオでは毎日、選挙関連の報道、政見放送が流れていましたし、街頭では各政党のTシャツやカプラーナを身につけ、旗を振りかざしたサポーターがPR活動を行いました。第一政党FRELIMO(フレリモ、モザンビーク解放戦線)の応援ソングは、特に頻繁に耳にするので、子どもでも思わず口ずさんでしまう程でした。

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↑投票会場の小学校
 
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まず氏名・IDの確認をします。ベストを着た人はボランティアの選挙サポーターです。

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今回は大統領、国会議員、州議会議員の選挙が行われたため、3種類の投票用紙、それぞれの支持する政党のところに×を記入します。

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大統領候補の3者、シマンゴ氏(MDM) 、ゲブーザ氏(FRELIMO)、ジャカマ氏(RENAMO、モザンビーク民族抵抗運動)です。MDMはRENAMOから独立し、4月に発足したばかりの若い政党です。

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ひとりひとりブースのところで投票用紙に記入します。

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投票の様子。

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投票した人は、インクに指をつけて、1度以上投票できないように目印にします。数日経ってもまだインクは消えないようです。

現在、即日開票が行われていますが、正式な結果の発表は11月12日です。
現在、FRELIMOが優勢です。最終結果は分かり次第、お伝えします!

モザンビークから研修生来日

モザンビーク事務所現地コーディネーターベネットさんから、松山ESD実行促進委員会で招聘した研修生のティトシュさんを紹介します。

ティトシュさんは私(ベネット)の10年来の親友で、モザンビーク南部ガザ州シャイシャイ出身の26歳です。物事を考える視野が広く、仕事や勉強に意欲的です。
また、両親を亡くしてからは兄弟とともに家族を支えており、責任感と情熱にあふれた人物だと思います。

彼はマシエネという村で、草木染めや紙作りの講師として働き、コミュニティ開発に携った経験を持っています。 現在はアーティストとして紙工芸品をつくっていますが、地元の自然素材を使い、持続可能なやり方で作品を製作しています。

彼は、確固たる意志を持って人生を歩み、学んだことを他の人に伝え、共有することができる人物です。9月16日~10月19日まで、約1ヵ月間の研修ではESD(持続可能な開発のための教育)をより深く理解し、学んだことを地域の発展のために活かしてくれるでしょう。

※松山市は、財団法人自治体国際化協会(CLAIR)のモデル事業として、今年4月から(財)松山国際交流協会、教育機関などからなる「松山ESD実行促進委員会」を発足しました。ティトシュさんは松山ESD実行促進委員会「ESD教材・カリキュラム開発事業」の研修生です。

研修の内容も近日中にレポートします。お楽しみに!

TITOSさん
↑右から2番目がティトシュさん、右端がベネットさん

モザンビーク・スタディツアー参加レポートPART2

PART1に引き続き、モザンビークスタディーツアー参加レポートをお送りします。

●マシエネ訪問
(リポーター:内子町国際交流協会 山村美佐子)

財団法人内子町国際交流協会(UTIA)では、毎年、中学・高校生を対象に青少年海外派遣研修事業を行っており、今年度で16回目を迎えます。これらの研修は、内子町の友好都市ドイツ・ローテンブルク市でのホームステイが中心です。今回のモザンビーク訪問を通して、この内子町の青少年研修をモザンビーク、そしてマシエネ村で行う可能性を探ってみました。

マシエネ村までは、首都マプトから車で約4時間。村には、電気と水があり、物理的にも精神的にも整った村という印象を受けました。教会の周りに、宿泊施設、学校、そして、バナナ紙・刺繍・ろうけつ染め工房などの主たる設備があります。今回、その宿泊施設に1泊しました。施設内部は、ミーティングなどができるホールを中心に、ベッド、蚊帳、チェストを備えた部屋に宿泊しました。

研修を行う上で大事なポイントは第1に安全性。内戦後は平和構築スローガンの下、国内の充実を図っており、人びとからの遺恨は感じられません。また、宗教的な争いもなく、日中の活動などには支障はありません。ただし、貧富の格差があるため、電子機器の携帯には注意が必要です。また、ホテル室内でも、貴重品の管理は怠らないこと、持ち物は全てスーツケースに入れて、鍵をかけるなどの自己管理が肝要です。

第2に衛生面。当地への渡航では、各種の予防接種が必要な場合もありますが、マラリアなどに感染しても、すぐに処置をすれば問題ないという情報から、今回のメンバーは接種しませんでした。対策として、防虫スプレーを始めとする防虫用具などは必須ですが、8月は乾季・冬の季節であり、蚊はあまり見かけませんでした。また、当地ではHIV感染者が4人に1人と聞きますが、人びととの会話などによる交流における心配はもちろん不要です。

第3に当地での研修受入れ母体の必要性。現在、モザンビーク在住邦人は約120名。日本人協会や日本センターはありません。今後、少なくとも、内子町の青少年派遣を可能にするためには、彼らの現地滞在中に、その日程の遂行把握や子どもたちの状況等の情報を確保するための、現地と内子を結ぶネットワークが必要となるでしょう。

以上の3項目がクリアできれば、マシエネでの宿泊研修は可能であると思います。机や椅子のない学校であっても、学ぶ喜びを知る子どもたちの瞳の美しさから内子の子どもたちは何を学ぶのでしょうか。あるいは、バナナの繊維で紙を作り、刺繍をほどこす女性たちの力強さをどのように感じるのでしょうか。

マシエネ

マシエネ風景

●クルーガナショナルパーク(南アフリカ)訪問
(リポーター:内子町国際交流協会 山村美佐子)

モザンビーク側で長蛇の列と混沌とした管理局での出国手続きを終えて、国境をまたぐと、一変、手入れの行き届いた南アフリカ側の風景が広がります。決して豊かとは言えない南アフリカ共和国ですが、世界で最も貧しい国のひとつであるモザンビークとの国境を隔てると、途端にモザンビークの貧しさに伴う非機能性や無秩序が、際立ちました。

国境から20分ほど車で走ると、クルーガ・ナショナルパークに到着しました。受付オフィスでは、わずかな象牙や角のために密猟された無残な動物たちの写真を見ました。店や、周りにある椅子・テーブル、そして清潔な水洗トイレなどは皆快適です。

そこから広い自然公園に向かいました。ワニ、象の群れ、キリンの親子、シマウマ、かば、オリックスなどのウシ科の動物たち、名も知らない鮮やかな色の鳥・・・、象とキリンの親子が、すぐ目の前で悠然と食事をする姿は圧巻でした。私たちは数時間の滞在でしたが、たくさんの動物たちが、次々に目の前に現れては私たちを驚かせ、楽しませてくれました。

途中、こちらの準備不足もあり、トイレの場所の確認を怠ったことから、トイレ探しに時間をロスしてしまいました。簡易トイレの必要性と、その場合を考慮して、女性専用車も必要であることを知る機会となりました。

このナショナルパークは、宿泊設備も整っていて、大人から子どもまで十分に楽しめます。次回は、宿泊もして、ライオンやジャガーなども見てみたいと思いました。

キリン

●スタディーツアーを受け入れて
(モザンビーク事務所所長 横田美保)

今回日本から訪問された方々は、当団体の活動を知ってらっしゃるとはいえ、誰かを通して知ることと、実際に自分の目で見て、肌で感じて、実感することは大きく違うので、出来るだけ多くを見ていただきたいと思っていました。

国土が日本の2倍もあるモザンビーク全てを短期間で見ることは不可能ですが、ボンドイア、シニャングァニーネという農村地域、マシエネというコミュニティ開発のモデル地域、そして首都のマプトとそれぞれの魅力、課題、文化、違い等を見ていただけたと思います。そしてアデリアさん、クリミルダさん、ベネットさん、ニコラウさんとの再会、現地の人々との交流を通して、モザンビーク・日本の顔の見える支援、関係性の構築を実感していただけたのではないかと思います。

初めて訪れる国の第1印象が、その国のイメージを作り上げてしまうことが多いので、旅を通じて皆さんがどのような印象をもたれるのかが一番気がかりでしたが、ツアー最後に「もう1度訪れたい」「来てみて本当に良かった」という感想をいただき、とても嬉しく思いました。このスタディーツアーを通じて、更に多くの方にモザンビークを知っていただきたいと強く思いました。そして、今後もモザンビーク、日本、両国の持続可能な社会づくりのための学び合いを継続していきたいと思います。

モザンビーク・スタディーツアー参加レポートPART1

8月18日~31日、竹内よし子代表ほか、石丸裕司当団体理事、大木由紀子さん(上智大学1回生)、松田達也さん(新居浜東高等学校教諭)、山村美佐子さん(内子町国際交流協会)がモザンビークを訪問しました。参加者の皆さんに各ポイントをリポートしていただきます!

●マプト市内
(リポーター:理事 石丸裕司)

首都のマプトに到着し空港を出ると、雑然とした街並みが目に飛び込んできました。市内の車道は舗装されていますが、道路脇には赤い土が残っています。歩道はごみだらけな上に、補修を行っていなくて穴だらけ。夜は歩くときに注意が必要です。信号はあまりなく、懐かしい年式の日本車をよく見かけました。車は我先にと走り歩行者は車道を平気で横切っていますが、意外に秩序が保たれていて、滞在中に事故は見かけませんでした。

街の建物にも独特の雰囲気があります。ポルトガル時代の建物は、廃墟となり利用されてないことも多いようです。再建を目指し新築された建物も見かけますが、旧来の建物、新築された建物ともにあまり高い建造物は見当たりませんでした。

マーケットは庶民向けの「市場」や「露天」と高所得者向けの「ショッピングセンター」があり、残念なことに生活水準で分かれています。パンなど生活必需品は安価ですが、そうでない商品は高価でした。週末の土曜市は人であふれて活気に満ち、特産品が手ごろな値段で購入できます。露天商との値段交渉も楽しみのひとつです。

国立自然歴史博物館では珍しい象の胎児の成長過程の標本など、非常に価値のある展示物を見ることができました。他にも、動物や魚類、昆虫等の貴重な標本がありましたが、保存状態が極めて悪いのが残念でした。

また、今回の訪問中、モザンビークの「大統領府」や「外務省」、「日本大使館」など、通常の観光では行く機会のない場所を訪れることが出来ました。このような場所を訪問できたのも、竹内代表を始めとする当団体の長年に渡る地道な活動の成果でしょう。今後も地道に末永く活動を継続して行うことが大事だと思いました。

エドアルド・モンドラーネ大学訪問

●ボンドイア村訪問
(リポーター:新居浜東高等学校教諭 松田達也)

アデリアさんの住むボンドイア村では村の人びとから温かい歓迎を受けました。村には大きな広場があり、小学校が建っていました。歓迎セレモニーでは、村の小学生が踊りを披露し、私たちも一緒に踊りました。授業も参観することができましたが、授業に対する子どもたちの生き生きとしたまなざしが印象的でした。

また、私たち日本人は教育を受ける機会に恵まれていますが、モザンビークでは教育を受けたくても十分にその環境が整っていない現実を実感することとなりました。

村では先生方の住宅で1泊することができ、その夜は小学校の先生とともに楽器を演奏しながら楽しいひとときを送りました。水や電気のない村の生活が少しでも良くなるような手助けができたらと思います。

ボンドドイア村訪問

●研修生アデリアさん、クリミルダさんとの再会
(リポーター:上智大学1回生 大木由紀子)

私はこのツアーで今年3月にお別れしたモザンビーク研修生たちと約5ヵ月ぶりに再会しました。アデリアさんのボンドイア村とクリミルダさんのシニャングァニーネ村にも訪れ、ボンドイア村には1泊しました。

私は高校時代、彼らと一緒に無茶々園で農業研修を体験して有機農業の大切さを学び、彼らからは歌、踊り、料理などを教わりました。しかし、私が知ることができたのは彼らの「日本で生活する姿」に過ぎませんでした。彼らがどんな家に住み、どんな生活をしているのか全く知らなかったのです。仲が深まるにつれて「彼らの国を自分の目で見て知りたい。」という気持ちが強くなり、ツアー参加
を決意しました。

私が驚いたのはアデリアさんの成長した姿です。以前、彼女に研修で何を学んだのか、帰国後の目標、将来の夢などを尋ねたことがありました。当時、彼女にとって研修の意味をすぐに理解するのは難しく、不安そうにしていたのを覚えています。村に帰ったら彼女はどうなるんだろう?日本に行ったことがプレッシャーになりつらい思いをするのではないか?と心配でした。

村で再会した時、彼女はミシンの使い方を他の女性たちに教えながら裁縫プロジェクトを続けていました。そんな彼女は自分が何をすべきなのか悟ったようで、たくましさが感じられました。私は将来彼女が村のリーダーとなる姿を想像し、頑張る彼女から勇気をもらうと同時に、自分は一体何ができるんだろうという焦りを感じました。

私たちとは住んでいる国も環境も違います。だからこそお互いを知りながら、同じ19歳として平和や持続可能な社会に向けてともに考えていきたいと思います。今回のツアーは私にとってその「第一歩」となりました。次にモザンビークを訪れる時に私も何か役に立てるよう学んでいきたいです。

アデリア
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