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平和アートの作製 その2

「Wind for a Family」という平和アートは、
大阪国立民族学博物館(みんぱく)のプロジェクト
として、今年の10月初旬から3週間をかけて
行われました。

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参加したのは当団体が作品を所持している、
お馴染みのアーティスト2名
ケスター、フィエルです。

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ケスター

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フィエル

作品のモチーフは、
「自転車」と「家族」です。

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武器との交換物資として
松山市から無償譲渡していただき、
モザンビークの人々の足となって
生活を改善するためのツールとして
活用されてきた自転車。

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そのペダルを力強く踏み込み、
モザンビークの平和と輝かしい
未来に向かって進んでいく家族
(両親と子ども)の姿です。

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ブリティッシュミュージアムの
「Tree of Life」という作品を契機に、
南スーダンで平和のモニュメントが
製作されることになったように、
作品は人をつなげる可能性を
もっています。

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作品は情報発信源となり、
メッセージを伝えていく役割を
果たします。

「Wind for a Family」を通じて
世界に平和のメッセージを発信し、
国際的に人と人をつなげていく
アジアの平和の拠点作りとしたい
との想いから、このプロジェクト
が生まれました。

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今年5月、「銃を鍬へ」プロジェクトの提唱者、
CCMの元代表デニス・セングラーネ司教
が大阪で開催されたアフリカ学会で
基調講演、シンポジウムに参加されました。
講演のテーマはモザンビークにおける平和
構築活動の歩みについてです。

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1992年に内戦が終結して以来、モザンビークは
平和を維持し、安定した経済成長、社会の成熟を
遂げてきました。

世界に実践に基づいた平和のメッセージを
発信することが出来る、内戦後の平和構築の
モデルとして、また「平和の輸出国」として、
モザンビークは世界から注目されています。

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平和アートの作製

大阪にある国立民族学博物館(みんぱく)の
プロジェクトとして、平和アートの製作が
10月初旬から行われています。

民博とアーティストをつないだのは、
ブリティッシュミュージアムの
平和アート作品「Tree of Life」。
モザンビークアーティストの作品です。

今回の作品のタイトルは
「Wind for a Family」

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材料が武器であるため、切断、加工の作業
にも緊張感が走ります。

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まさに、作品に魂が込められていくプロセス。

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その風景は
神秘的でさえありました。

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作品製作の様子を数回に分けてご紹介していきます。

「平和の日」

2012年10月4日。
モザンビークの内戦が終結して20周年の平和記念日。

今回は20年という節目であるため、ローマにおける
1992年の平和協定調印に関わったイタリアからの来賓
のスピーチが通常の式典にプラスしてあり、式全体で
3時間にも及びました。

夏を控えたマプト。この日は晴天、風があるものの
気温33度の中でのセレモニーは暑かったです。

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平和プラザには、モザンビークの国旗の色の旗がはためき、
中央には今年設置された平和のモニュメントがありました。

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また、式典を、伝統的なダンス、平和を讃える歌、放鳩が彩りました。

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鳩を抱える子どもたち

式の中で、特に印象的だった言葉をご紹介します。

「平和は私たち一人一人の継続的な努力があってこそ
維持することができる。そして、平和の達成に終わりはない。」

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(CCM・前ジェネラルセクレタリー、デニス・マツォーロ司教)

「モザンビークは平和でない時(戦時)、そして現在の平和の時
の両方を経験した。そのために、その経験をもとに果たすべき
役割があるのではないか」(ジョアキナ・ニャナラ司教)

「平和という概念は、DISARM=武装を解除する、解除させる、
敵意を和らげるというような意味合いがある。
また、DISARMは物理的に武器を手放すことのみならず、
精神の武装を解く、精神的な「平和」という意味もある。
皆さん、本日から、来年の同日までの1年間、ひと時の
例外なく、平和の達成のために尽力しよう。また
そのように今後も努力を継続することで、真の平和を
もたらそう。

この平和プラザを訪れるたびに、一人一人が、
1本ずつ平和の苗木を植え、ともに育てていくような
イメージでモザンビークの平和を育てていこう。」
(前CCM代表、Peace, justice, and reconciliation
委員会メンバー・デニス・シングラーネ司教)

「平和を知らない若い世代に、戦争の愚かさを伝え、
対話で問題を解決する術を教えよう。」
(イタリア・Sant'Egidioコミュニティ代表・
マリア・シアラ・ツリニ氏)

「平和は、“プロセス”で“終わり”がない。
戦争が無いこと、武器が市民の手元から無くなる、
という状態のみならず、貧困の解決、民主主義、
国の発展が平和にとって不可欠。この20年
でモザンビークは平和協定に基づき、着実に平和
を実現してきたと思う。」
(1992年平和協定交渉役・ラウル・ドミンゴス氏)

「1年のうちの今日という日、また、平和プラザと
いう場所の意味・意義を考えてほしい。そして、私たち
が継続してきた平和の意味を考えてほしい。未だに
平和を実現するためにはたくさんの課題がある。貧困、
民主主義、そして個人の独立・・・、これらは平和の
重要な要素であると考える。

言うことを聞かない子供に手をあげるのは簡単なこと。
しかし、その手を見て考えてほしい。
それが本当に必要なことなのか。

モザンビークには、今こそ、「平和の文化」の醸造が必要
である。サモラ・マシェル大統領は「太陽は死なない」と
いう言葉を残したが、私はそれを受けて「平和は死なない」
と申し上げたい。」

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(・ジョアキム・アルベルト・シサノ・元モザンビーク共和国大統領)

「1992年に新しいモザンビークの歴史が始まってから、
私たちは平和の恩恵を受けてきた。経済・社会の発展、
インフラの整備、民主主義・・・。

そして同国の蒔いた平和の種は国際社会に広がっていった。
勿論、現在でもモザンビークには解決しなければならない
さまざまな課題―エイズ、貧困、マラリア等―があり、
立ち向かわなければならない。そのためには、平和の維持
が必要不可欠である。」

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(アルマンド・エミリオ・ゲブザ・モザンビーク共和国大統領)

スピーチをした人々が総じて、モザンビークが20年間
「平和」を維持してきたことを讃えると同時に、「平和」
な状態は、努力なしに維持できるものではないということ
を強く認識し、より一層の国民の尽力が必要である点を
強調していました。

また、戦後20年を機に同国における平和構築に、当団体
が2000年より支援してきた現地NGO・CCM(キリスト教
評議会)の「銃を鍬へ」プログラムが大きく貢献してきた
ことを呼び起こししたいと思います。

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回収した武器の一部を用いて作成された、武器アート

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不発弾、ミサイル、手榴弾、地雷、小火器の回収を1995年から
現在まで継続し、計200万以上の武器を回収、爆破処理してきた
経緯を持っています。同組織はしばしば資金難に見舞われてきまし
たが、そんな中でも継続してきた、地道な活動、平和な国づくり
を担う“情熱”が今日のモザンビークの「平和」をもたらしている
ことと思います。

「平和」なくしては、国の発展はありえない。
一見当たり前のような論理ですが、世界には
平和でない国が多数存在しています。

モザンビークの歴史が、他国のモデルとして
活きるよう、「平和」の維持、平和の文化の
創出に、これまで以上に熱心に取り組む重要性
を感じました。

戦争を経験した日本についても同様のことが
言えると思います。


私の心の中に
「平和」は醸造されているだろうか。

この問いから考えてみたいと思いました。

HIV/AIDSという病 (続)

先日更新した「HIV/AIDSという病」の記事に
コメントをくださった皆さん、ありがとう
ございました。

日本では、まだ話題になりにくい病ですが、
近い将来、他人事ではなくなる問題です。

先日の記事の中で、病院から失踪したと書いた
患者さん、その後無事に見つかりましたが、
残念なことに・・・

土曜日にお亡くなりになりました。

心よりご冥福をお祈りいたします。


モザンビーク人の明るさは、常に辛い現実に
直面しているからこそ生まれてきている
のではないかと思います。

ただ、ふとした時に見せる深い悲しみの表情は
胸に突き刺さります。

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武器アート作品 「親子」

HIV/AIDSという病について

最近、悲報が多く、気分が落ち込んでなかなかブログが
書けませんでした。しかし、これを読む皆さんにもお伝え
しなければと思い、書くことにしました。

先日、モザンビーク人の知人がHIV/AIDSで亡くなった。
私と同年代で、車のメカニックだった。笑顔が印象的で、
気さくな青年だった。

ここ半年は、入退院を繰り返していて、相当重症だと
聞いていた。HIV/AIDSだったと私が知ったのは
最近のことだった。

先月、合併症の治療のため、知人、友人に輸血を依頼していた。
(輸血してもらうためには、お金を払うか、輸血分の血液を
病院に提供するかの2択である。)治療費用を捻出することが
困難であったため、血液の提供を選択した。しかし、思うように
血液の提供者が現れず、「死にたくない」と泣きながら、同僚に
連絡をしてきた。

彼の訃報が入ったのは、それから間もなくのことだった。

HIV/AIDSはモザンビークのみならず、多くのアフリカ
諸国で人々の命を奪われている病である。HIV/AIDSで
これまで亡くなった人口の約80%はアフリカであると
言われている。

国連エイズ合同計画(UNAIDS)や他のデータによると、
モザンビークにおけるHIV/AIDS 15~49歳(成人)感染者は
240万人、凡そ人口の11.5%(2011年)。マプト州や他の南部州
では20%に達している。

感染拡大の背景には、ウイルス保有者とのコンドームなどで
防御しない性交渉、汚染血液の傷口からの侵入、輸血等がある。
モザンビーク南部に感染者の多い理由としては、南アフリカへ
の出稼ぎ労働者が感染し、モザンビークに帰国して家庭や
コミュニティに感染を広げるというケースが多いことが挙げ
られる。

また、伝統的な儀式や迷信が感染拡大につながっている。

モザンビークのある地域では夫が亡くなった場合、未亡人が
夫の兄弟とコンドームなどの避妊具を使用しない性交渉を持ち、
厄払い・浄化をする「クピタ・クファ」という儀式が存在する。

その儀式は、失業、病気、事故などの災難を免れるため、
避妊をしない性交渉を1日3回、1週間行う。夫がHIV/AIDS
で死亡した場合、高い確率で妻にも感染しており、夫の親族と
性交渉することでHIV/AIDSが一度に複数名に感染するケース、
妻が儀式によってHIV/AIDSに感染するというケースがある、
いずれにせよ、コンドームなどの避妊具を使用しないことが感染
リスクを格段に高めている。

コンドーム使用を上記儀式に取り込む、動物を犠牲にする
ことよる代替儀式などでHIV/AIDS感染を防止する動きが
存在しているものの、そのような人々は未だに少数派であ
るため、今後も啓発の取組みが必要である。

また、モザンビーク一部地域には、男性のHIV/AIDS感染者が、
乳女児と性交渉すると治るという迷信があり、そのため乳児
への感染拡大も起こっている。このような誤った知識も感染
拡大を引き起こしている。

また、HIV/AIDSは病気、感染の性質上、日本と同様、
陽性者に対するスティグマや差別が根強く存在しており、
自分がHIV陽性だということを明かしていない人も多く、
それによって感染が広がっている事実もある。

私の知人で、亡くなる直前まで親しい人たちにHIV/AIDS
であることを告げず、HIV/AIDSの治療、薬の服用を全く
行っていなかった人が居た。彼女はHIV/AIDSであること
が分かると離婚されることもあるため感染を隠していたと
いう。

HIV/AIDSは現在、完治する治療法のない病気ではあるけれど、
病気に立ち向かうためには毎月の往診、毎日の薬の服用、並び
に栄養の豊富な食べ物の摂取が必要で、それを適切に実施して
いる知人は、健康状態が良好に保てている。

しかし、家計に余裕がない場合や、病院への通院が困難な農村
部に生活している場合は、きちんとした治療を受けることが困難
である。モザンビークでは、日本と違って、きちんとした病名が
付かず死因が不明のままで亡くなる方が非常に多い。その中には
HIV/AIDSの患者も多いと推測できるが、検査をしていなければ
それは分からない。

私たちの活動地域にはクリニックが1棟あるが、HIV/AIDSの
テストを受けるためには50キロの距離にある病院まで行かな
ければならず、患者が通院するにしてもトラックの荷台で往復
2時間近く移動することが必要で、またそのための費用の捻出
は定期的な収入の無い多くの家庭にとって容易ではない。この
ような困難も治療の妨げになっている。

私はこの国にきて、HIV/AIDSの恐ろしさを知った。
そして、日本人は、とても無防備であることを痛感した。

HIV/AIDS患者の最期は、私が知る限り壮絶だ。

手の施しようがなく、死を待つ状態になると、
自殺を図る人も少なくない。私のモザンビーク人の
友人の母親は井戸に身を投げた。

知人の兄は病院から失踪した。これは今日起きたこと。

健康的だったころの面影が全くなくなるほど、
やせ細って、やつれていった人を知っている・・・。


HIV/AIDSの感染拡大を防ぐのは簡単でないことは
感染者数の増大からも周知の事実である。しかし、
手をこまねいているわけにはいかない。

HIV/AIDSは感染を防げる病気として、感染拡大の
原因に多角的にアプローチしていく必要がある。

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※私は、HIV/AIDSや医療の専門家でないので、
専門的な見地からのご意見やご提案をいただけ
ると嬉しいです。

コメント欄がありますので、
皆様お気軽にご活用ください。
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