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インターン・野田さんのモザンビークにおける活動

皆さん、初めまして!

えひめグローバルネットワークのインターン
として現在モザンビークで活動している
野田昇吾です。

私は青年海外協力隊員として2010年6月~
2012年6月までモザンビーク・イニャンバネ州
で野菜栽培指導を行っていました。

私は神奈川県出身なのですが、愛媛県に所縁があり、
愛媛県に教員採用試験を受けに行った際、
WakuWaku Café に立寄ったことをきっかけに、
えひめグローバルネットワークのインターンとして
活動することになりました。

野田さん写真

高校時代、ひょんなことから農業に興味を持ち
東京農業大学へ進学、そして大学時代から海外に
興味を持っていたため、語学留学のためフィジーへ
行ったり、農業実習にアメリカで参加したりして
いましたが、卒業後もやっぱり海外に行きたい!
自分の培った知識や技術を誰かのために活かしたい!
と思い、青年海外協力隊に参加することを決めました。

活動を通じて、多くのモザンビーク人と出会い、学び、
アフリカを感じることが出来ました。

そして活動(野菜栽培指導)を通じて起こるモザンビーク人
の変化に感動を覚えることとなりました。

自分の知識や経験がこんなにも人の役に立ち、
生活を向上させるのか!と私は活動にとても生きがい
を感じるようになり、帰国後も今まで培ってきた知識や
経験を誰かのために活かしたいと考えるようになり、
冒頭にあるように教職を目指したのですが、
奇跡的にもその先で出会ったのが
えひめグローバルネットワークでした。

来年の4月まで何をしようか迷っていた私は、
出会ったのも何かの縁だと思い、インターン
として活動することを決めました。

そして現在、故郷モザンビークに戻り、
再び活動を開始しています。

今回は2カ月間という大変短い期間ですが、
(2011年11月2日~12月28日)
自分の持っている力を全て出し切り、
えひめグローバルネットワークの活動に
従事したいと思っています。

現地における活動は、これまでモアンバ郡
マレンガーネ地域において実施を準備して
きた縫製訓練の試運転、当団体の元研修生
アデリアさんと協働して実施するフェア
トレード商品作製、並びに現地における
事務所運営システムづくりのサポートなど
を行います。

また、今回、私がモザンビークで活動出来る
のは、私が帰国ボランティアであり、JICAの
NGO活動支援制度を利用しているためです。

NGO活動支援制度とは協力隊等で活動し、
帰国したボランティアを対象にNGO等で
インターンとして一定期間活動を行うことで、
各団体の有する技術・知見・組織運営・管理等
のノウハウを習得し、スキルアップを目指す制度です。

(JICAホームページ:
http://www.jica.go.jp/volunteer/obog/career_support/ngo/)

私は将来、教職を目指していますが、教師に
なる前に是非ともNGOで働き、色々な経験、
知識を習得したいと考えていました。

今回のインターンで学んだこと、経験したことが
将来、教育の現場で必ず活きると強く思っています。

研修生の今:アデリアさん

先日、アデリアさんの勤務する子どもたちのセンター
を訪問しました。同施設では、人身売買や家庭に問題
があり保護された子供たちが短期で滞在しており、心の
リハビリ、授業、縫製や手工芸品を作成するトレーニング
などが行われています。

アデリアさんは、日本における研修で身につけた縫製
技術を評価され、女性省の運営する子どもたちの保護
施設に雇用されました。公務員という安定した職を
当団体の研修をきっかけに得るという幸運に恵まれ
ました。

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同センターへはアデリアさんがトレーニングに使うミシン、
自転車、算数セットや子どもたちの使うパズルなどの
おもちゃを寄贈しました。先日訪問した際、物質の活用を
確認いたしました。

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心に傷を負っている子どもたちが多いので、友達と
ゲームをすることや遊ぶことが良いリハビリになる
ようです。もちろん、アデリアさんの縫製訓練も
継続しています。

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子どもの面倒をみるのが大好きなアデリアさん、
今年出産し、一児の母となりました。

6ヶ月になる「ユウスケ」君です!

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アデリアさんととクリミルダさんが日本で研修中、
仲良くなった、当時愛大の学生さんの名前です。
このような形で日本のことを常に思い出してくれて
いることが分かり、とても嬉しく思いました。

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ユウスケ君が大きくなったら、きっと自分の名前の
由来を聞くのでしょうね。アデリアさんがどんな風
に伝えるのか、興味深いです!

平和アートの作製 その2

「Wind for a Family」という平和アートは、
大阪国立民族学博物館(みんぱく)のプロジェクト
として、今年の10月初旬から3週間をかけて
行われました。

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参加したのは当団体が作品を所持している、
お馴染みのアーティスト2名
ケスター、フィエルです。

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ケスター

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フィエル

作品のモチーフは、
「自転車」と「家族」です。

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武器との交換物資として
松山市から無償譲渡していただき、
モザンビークの人々の足となって
生活を改善するためのツールとして
活用されてきた自転車。

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そのペダルを力強く踏み込み、
モザンビークの平和と輝かしい
未来に向かって進んでいく家族
(両親と子ども)の姿です。

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ブリティッシュミュージアムの
「Tree of Life」という作品を契機に、
南スーダンで平和のモニュメントが
製作されることになったように、
作品は人をつなげる可能性を
もっています。

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作品は情報発信源となり、
メッセージを伝えていく役割を
果たします。

「Wind for a Family」を通じて
世界に平和のメッセージを発信し、
国際的に人と人をつなげていく
アジアの平和の拠点作りとしたい
との想いから、このプロジェクト
が生まれました。

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今年5月、「銃を鍬へ」プロジェクトの提唱者、
CCMの元代表デニス・セングラーネ司教
が大阪で開催されたアフリカ学会で
基調講演、シンポジウムに参加されました。
講演のテーマはモザンビークにおける平和
構築活動の歩みについてです。

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1992年に内戦が終結して以来、モザンビークは
平和を維持し、安定した経済成長、社会の成熟を
遂げてきました。

世界に実践に基づいた平和のメッセージを
発信することが出来る、内戦後の平和構築の
モデルとして、また「平和の輸出国」として、
モザンビークは世界から注目されています。

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平和アートの作製

大阪にある国立民族学博物館(みんぱく)の
プロジェクトとして、平和アートの製作が
10月初旬から行われています。

民博とアーティストをつないだのは、
ブリティッシュミュージアムの
平和アート作品「Tree of Life」。
モザンビークアーティストの作品です。

今回の作品のタイトルは
「Wind for a Family」

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材料が武器であるため、切断、加工の作業
にも緊張感が走ります。

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まさに、作品に魂が込められていくプロセス。

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その風景は
神秘的でさえありました。

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作品製作の様子を数回に分けてご紹介していきます。

「平和の日」

2012年10月4日。
モザンビークの内戦が終結して20周年の平和記念日。

今回は20年という節目であるため、ローマにおける
1992年の平和協定調印に関わったイタリアからの来賓
のスピーチが通常の式典にプラスしてあり、式全体で
3時間にも及びました。

夏を控えたマプト。この日は晴天、風があるものの
気温33度の中でのセレモニーは暑かったです。

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平和プラザには、モザンビークの国旗の色の旗がはためき、
中央には今年設置された平和のモニュメントがありました。

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また、式典を、伝統的なダンス、平和を讃える歌、放鳩が彩りました。

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鳩を抱える子どもたち

式の中で、特に印象的だった言葉をご紹介します。

「平和は私たち一人一人の継続的な努力があってこそ
維持することができる。そして、平和の達成に終わりはない。」

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(CCM・前ジェネラルセクレタリー、デニス・マツォーロ司教)

「モザンビークは平和でない時(戦時)、そして現在の平和の時
の両方を経験した。そのために、その経験をもとに果たすべき
役割があるのではないか」(ジョアキナ・ニャナラ司教)

「平和という概念は、DISARM=武装を解除する、解除させる、
敵意を和らげるというような意味合いがある。
また、DISARMは物理的に武器を手放すことのみならず、
精神の武装を解く、精神的な「平和」という意味もある。
皆さん、本日から、来年の同日までの1年間、ひと時の
例外なく、平和の達成のために尽力しよう。また
そのように今後も努力を継続することで、真の平和を
もたらそう。

この平和プラザを訪れるたびに、一人一人が、
1本ずつ平和の苗木を植え、ともに育てていくような
イメージでモザンビークの平和を育てていこう。」
(前CCM代表、Peace, justice, and reconciliation
委員会メンバー・デニス・シングラーネ司教)

「平和を知らない若い世代に、戦争の愚かさを伝え、
対話で問題を解決する術を教えよう。」
(イタリア・Sant'Egidioコミュニティ代表・
マリア・シアラ・ツリニ氏)

「平和は、“プロセス”で“終わり”がない。
戦争が無いこと、武器が市民の手元から無くなる、
という状態のみならず、貧困の解決、民主主義、
国の発展が平和にとって不可欠。この20年
でモザンビークは平和協定に基づき、着実に平和
を実現してきたと思う。」
(1992年平和協定交渉役・ラウル・ドミンゴス氏)

「1年のうちの今日という日、また、平和プラザと
いう場所の意味・意義を考えてほしい。そして、私たち
が継続してきた平和の意味を考えてほしい。未だに
平和を実現するためにはたくさんの課題がある。貧困、
民主主義、そして個人の独立・・・、これらは平和の
重要な要素であると考える。

言うことを聞かない子供に手をあげるのは簡単なこと。
しかし、その手を見て考えてほしい。
それが本当に必要なことなのか。

モザンビークには、今こそ、「平和の文化」の醸造が必要
である。サモラ・マシェル大統領は「太陽は死なない」と
いう言葉を残したが、私はそれを受けて「平和は死なない」
と申し上げたい。」

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(・ジョアキム・アルベルト・シサノ・元モザンビーク共和国大統領)

「1992年に新しいモザンビークの歴史が始まってから、
私たちは平和の恩恵を受けてきた。経済・社会の発展、
インフラの整備、民主主義・・・。

そして同国の蒔いた平和の種は国際社会に広がっていった。
勿論、現在でもモザンビークには解決しなければならない
さまざまな課題―エイズ、貧困、マラリア等―があり、
立ち向かわなければならない。そのためには、平和の維持
が必要不可欠である。」

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(アルマンド・エミリオ・ゲブザ・モザンビーク共和国大統領)

スピーチをした人々が総じて、モザンビークが20年間
「平和」を維持してきたことを讃えると同時に、「平和」
な状態は、努力なしに維持できるものではないということ
を強く認識し、より一層の国民の尽力が必要である点を
強調していました。

また、戦後20年を機に同国における平和構築に、当団体
が2000年より支援してきた現地NGO・CCM(キリスト教
評議会)の「銃を鍬へ」プログラムが大きく貢献してきた
ことを呼び起こししたいと思います。

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回収した武器の一部を用いて作成された、武器アート

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不発弾、ミサイル、手榴弾、地雷、小火器の回収を1995年から
現在まで継続し、計200万以上の武器を回収、爆破処理してきた
経緯を持っています。同組織はしばしば資金難に見舞われてきまし
たが、そんな中でも継続してきた、地道な活動、平和な国づくり
を担う“情熱”が今日のモザンビークの「平和」をもたらしている
ことと思います。

「平和」なくしては、国の発展はありえない。
一見当たり前のような論理ですが、世界には
平和でない国が多数存在しています。

モザンビークの歴史が、他国のモデルとして
活きるよう、「平和」の維持、平和の文化の
創出に、これまで以上に熱心に取り組む重要性
を感じました。

戦争を経験した日本についても同様のことが
言えると思います。


私の心の中に
「平和」は醸造されているだろうか。

この問いから考えてみたいと思いました。
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